JINTAN 1929

ツイッターの延長です。140文字で足りないことをつぶやくブログです。

ポケモンの思い出話①

私が小学校低学年かそこらの頃の話です。

当時、我々の間での興味はムシキングからポケットモンスターシリーズ、それもダイヤモンドパール、所謂4世代ポケモンが流行しており、性別関わらずにポケモンの話が通じるといったほどの浸透っぷりでした。仲のそこまでよくないヤツ同士でもポケモンを話題に出せばそこそこ話し合えるようなものでもありました。

 

で、私も周りとは少し遅れて「パール」を手にしました。初めてパッケージを開けた時の光沢を帯びたカセットを目にした感動を忘れることはありません。

最初に選んだポケモンポッチャマ。2番目のジムは草タイプであったために苦戦を強いられましたが、ズバットを捕まえてソイツでゴリ押しすることによって突破しました。それからゴルバットを経てクロバットへ進化させ、その洗練されたビジュアルと性能に恋をしました。

 

ダイパ発売から数か月。未だにポケモンは我々の間で圧倒的な人気を誇り続け、バッヂがどうのこうのとか、伝説ポケモンがどうのこうのとかよりも「100レベ」が頻繁に話題に上がるようになりました。

要するに、小学生の頃はレベル上げの効率やらを考える能力も低く、100レベのポケモンを作り上げただけでも「ソイツは強い」といった視線を置かれることが多く、100レベポケモンを作り上げた者は大体自慢しまくっていました。そんなとこです。

小学生間での対戦は、今どき主流の6350(強制的に50lvに設定され、6匹の中から3匹を選出する公式ルール)のようなしっかりしたルールで対戦することはなく、6vs6、それもレベルキャップは一切なく、殿堂入り前のプレイヤーと殿堂入り後のプレイヤーとでは圧倒的な戦力差が生じ、その環境下で最強のスペックを誇る「100レベ」は600族とか準伝なんかよりも重宝されました。

 

発売から後れを取った私ですが、周りがパルキアギラティナといった伝説ポケモンを1体作り上げてウキウキしている中、私はムクホークゴルバットバクーダといった当時はだれも目を付けないようなポケモンばかりを必死に育て上げ、遂には6匹すべてを100レベにすることに成功し、周りからは「ポケモンマスター」だとか呼ばれていました。

 

話は変わって、それは確か冬休み明けの話でしょうか。

その頃、ある一大ブームが私の学年で巻き起こりました。

誰から広まったか、近所の駄菓子屋に屯し、そこでゲームしたり駄菓子の当たりを引いたりして遊ぶことが一気に流行り始めました。

で、私は当時から友達と外で遊んだりするのが何よりも大好きだったので、それに乗じて駄菓子屋に溜まりながらゲームしたり近くの公園で木登りだのして小学生を謳歌していました。

 

事件はそんな駄菓子屋ブームの渦中に発生しました。

駄菓子屋の奥のスペースにこたつのスペースがあり、そこに入って駄菓子を食べながらゲームをするスタイルが当時のトレンドでした。

で、そのスペースってのは大体がグループ単位での先着順であり、知らん人が占拠してるなら他で食べるか、といったような具合でした。

で、学年のメンバーで駄菓子屋に向かうとそのスペースが運よく空いており、例のごとくソコを占拠してゲームをすることにしました。

そのゲームこそがポケモン。いくら月を跨ごうがポケモンブームというのは熱の冷めないもので、マイナーチェンジであるプラチナが出てからその勢いはさらに加速していきました。

 

————日は夕暮れに近くなり、我々は支度をして帰ることにしました。

自転車に跨り、何気なくカバンを探ると、DSが無いことに気が付きました。

「やばい!DSないわ!Dくん(当時恐らく一番仲良かった友達)待っとってくれへん?」

そう言い残すと返事も聞かずに例のスペースへとダッシュしました。

例のスペース。見ると高学年の連中が占拠していました。

当時の我々からすると、高学年の連中はほとんど大人のようなものであり、近づくのも度胸が要りました。

で、肝心のDS。彼らの中の一人が何やら触っているではありませんか。

目も合わせずにそれを奪い取り、一目散に仲間の下へ駆けつける私。

そこへ戻るとDくんがまず「あったんか!よかった!」と声をかけてくれました。

よかったー、あったわーなどと言いながらDSを開く。

 

驚愕でした。驚愕というより疑問の方が勝ったか。

自慢のポケモン達が手持ちに居ない。ボックスにもいない。

「あれ?俺のポケモンおらんねんけど...」

電源を切って再度付け直す。結果は変わらず。

「なんで?なんでおらんの?」

次第に視界は涙で覆われ、後程聞くと泣き声で町中に響いてたそうな。

ポケモンおらんの?逃がされたん?」

仲間のうちの誰かが聞くも、涙を流すのに必死で返答が出来ませんでした。

 

...最悪の帰路。まるで悪夢を見ているかのような現実の無さ。共に道を歩んだポケモン達は我が手を離れ、今頃どうしているのか...

それでも高学年の連中を恨むことはできず、結局はDSを置き去りにした自分が悪いと、復讐心を必死で自制していました。

 

...数日後、友達の家に集まっている時、すっかりポケモン熱の冷めた私にDくんが一言

「これ、あげるで。」

Dくんは私にDSの画面を見せてきました。これは。

 

———「100レベ」は当時、その持ち主のアイデンティティでもありました。例えばパルキアを100レベにした者はパルキアの人間、ボーマンダを100レベにした者はボーマンダの人間、といった具合に。

で、Dくんは前作であるルビーサファイアからポケモンをやりこんでおり、恐らくはその頃からの相棒であるラグラージが「100レベ」でした。

 

 

見せつけられたその画面には、彼のシンボルでもあるラグラージが。

「いや、それDくんの100レベのやつやん。」

「○○(私)ポケモンおらんの可哀そうやん。あげるわ」

その後数回断るも、結局はそのラグラージを貰うことになりました。

虐めの頻発する小学生。誰かが可哀そうだとか、誰かのためになるなら、とかで動く人間は非常にまれであり、たいていは自分only思考、他でも無い私がそうだったからです。

感動で視界が霞むのを確かに感じました。コイツは俺のためにこんな100レベをくれるなんて。

 

 

 

 

で、現在。十数年たち、大学生にもなって今なお冷めやらぬポケモン熱。当然あのころとは比べ物にもならぬ知識を蓄え、中学高校と様々なポケモン伝説を作り上げ...これはまた別の話として。

スイッチ版ポケモン「ソード・シールド」、それに過去作が送れるアップデートが2月に実施されると聞いた私は、埃被った「3DS」を棚の奥から引っ張り出し、同様に真っ白けになったソフトケースから「ムーン」を取り出し、中にいるポケモンを確認する。

...ムーンから相当なブランクが空けており、どんなポケモンが中にいたかだとか、そんなことは完璧に忘れていました。

ボックスを順繰りに確認していく。色違いイーブイ、これは貴重だ。5世代から連れ歩いているガブリアスの「メユメヘネ」お前は俺と戦い続けろ。トリトドンの「とく」お前はこっちに来てもその頑丈さを活かせるだろうよ。

...その中に一つ、100lvのラグラージが存在していました。性格は控えめ。個体値はさほど良くもなく、技はほとんどが秘伝技。なんやっけこのポケモン..

...親を見てすべてを思い出しました。ってのが今回の思い出話です。

 

Dくんとは顔を合わせた覚えが中学の頃から一切なく、今でも僕の頭の中にはあの頃の声変わりのしていない彼がいます。

どっからどう見ても大人になるであろう歳となった今、彼はまだポケモンをやり続け、当時とはけた違いの知識を身に着け、私と同じく剣盾DLCに心の熱を灯しているのでしょうか。

って話です。おわり。